本物の文化
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文化体験5選
ニューカレドニアの基礎的な歴史
考古学的遺跡は、紀元前1100年頃からオーストロネシア人がこの群島に住んでいたことを物語っています。東南アジアからの熟練した航海者たちは南太平洋全域を横断し、徐々にニューカレドニアに定住、のちに伝統的なカナック社会を形成しました。
イギリスの探検家ジェームズ・クックがこの群島を発見し、「ニューカレドニア 」と命名したのは1774年9月4日のことでした。1853年にフランスが正式にニューカレドニア(「カイユー(caillou:宝石)」という愛称もあります)を領有し、10年後に流刑植民地となるまで、先住民とヨーロッパ人との接触は少数の捕鯨船と宣教師に限られていました。やがて囚人と自由入植者は多くの土地を所有するようになり、先住民のコミュニティを強制的に保護区に移したため、さまざまなカナック「部族」の基礎が築かれました。
1874年のニッケル採掘に始まる鉱業ブームから第二次世界大戦の終結まで、ニューカレドニアはアメリカの主要拠点として、大きな社会的動揺を伴う近代化を遂げました。1946年に植民地ではなくなり、カナック民族の真の解放が始まる一方で、コミュニティ間の緊張は長引き、1980年代の独立闘争で最高潮に達しました。
1988年、独立運動指導者のジャン=マリー・チバウと忠誠派のジャック・ラフルールの握手に象徴されるマティニョン協定の調印により、ニューカレドニアは平和と自治の時代を迎えました。現在のニューカレドニアの人口は27万人、多様な文化的要素を共有することで、その多様性を力に変えることを目指しています。
先祖伝来のカナック文化
先祖代々の風習や口伝に根ざしたカナック文化は、一族や土地と深く結びついています。各カナックの人々は、共通の土地、共有の神話、特定の機能、そして族長を中心とする階層化されたグループにまとまっています。この魅惑的な本物の文化にどっぷり浸かってみませんか?
- 伝統的な小屋は、木、ツル植物、藁で作られた典型的なメラネシアの円形の住居です。彫刻が施されたドア枠、屋根上の尖塔飾りは、血統や祖先とのつながりが象徴的に表現されています。
- フランス語に加えて、ドレウ語、ネンゴネ語、パイシー語、サラチュ語、アジエ語など28のカナック語はメラネシア系コミュニティで今でも広く話されています。
- クチュームとは部族の慣習です。言葉や贈り物の交換は、ホストへの敬意を示すためにカナックの土地全体で実践されています。特に大きなイベントや初めての訪問の際には欠かせません。
- 先祖代々の技術を伝える自然素材(木の幹、繊維、貝殻、オオコウモリの毛皮、ヒスイ、竹など)の彫刻、織物、彫像など先住民族の芸術は、儀式用具(装飾品、楽器など)や実用品(マット、漁網など)の製作に活かされています。
- 音楽とダンスでは、ピルーの伝統的なリズムと現代音楽(特にレゲエ、現在はヒップホップ)を融合させ、カネカのような独創的で現代的、かつ非常に人気のある形式を生み出しています。
カルドッシュとフランスの影響
文化や歴史に興味のある方なら「カルドッシュ」と呼ばれる、流刑植民地時代の囚人やヨーロッパ人入植者の子孫たちのライフスタイルにも興味をそそられることでしょう。フランスとオセアニアの影響をミックスして受け継いだ彼らは、欧米のアクティブな生活とオセアニアの静けさの間を行き来しながら、土地と海に常に強い愛着をもっていいます。
カルドッシュの田舎町では、ブルサールの愛称で親しまれている人々が、狩りや釣りにでかけたりと先祖の開拓者精神を色濃く残しています。アメリカの西部開拓時代のカウボーイのような気風を持ち、常に馬とともにあり、西海岸の平原で大農場や牧場を経営しています。観光客は彼らの素朴で本物のライフスタイルに魅力を感じ、見本市でロデオを見たり、地元の珍しい表現やアクセントを聞きに訪れます。
人口の3分の2近くが集中する首都ヌメア周辺では、フランス的文化がより際立っています。多くのベーカリー、ワインショップ、チーズの種類が豊富なスーパーマーケット、カフェやレストランがあり、ヌメア市民の生活を上質なものにしています。湾沿いのナイトライフは活気にあふれ、ショー、コンサート、スポーツイベントなど、豊富なプログラムが1年を彩ります。