タラニャ邸やシャトー・ハーゲンの領地に入り、首都の中心にある芸術、歴史、建築、植物学に捧げられたこの芸術的で文化的な空間をお楽しみください。
歴史を少し... ポート・ド・フランスに最初に到着した入植者の一人であるピエール・カネルは、1858年に植民地政府からヴァレ・ド・ランファンテリー(現在のヴァレ・デ・コロン)に土地を与えられ、そこに町で最初の石造りの家を建てました。1843年にバラードに上陸した最初のカトリック宣教師の一人であるマリスト会のブラザー、ジャン・タラニャが1863年にこの土地を購入しました。1852年に誓願を解かれた彼は、ジャンヌ・グージュと結婚し、2人の娘が誕生しました。購入した土地には、彼が改築した外構と住宅が含まれており、隣に大きな邸宅を建てるつもりでしたが計画を実行する前に1878年に亡くなりました。娘のアンヌ=マリーと娘婿のジョルジュ・マルセル・プレヴロー・ド・ゾンヌヴィルがこの土地を相続し、ジャン・タラニャの計画に基づき、1889年から1892年にかけて「バニアン邸」を建設しました。1903年、夫妻はニコラ・フレデリック・ハーゲンの未亡人ルーシー・ハーゲンにこの土地を売却しました。オーストラリアでの生活と仕事の後、ニコラ・ハーゲンはニューカレドニアに定住し、大きな貿易会社を設立しました。その後、ハーゲン家の出身地であるバイエルン州の都市のフランス語名(レーゲンスブルク)にちなんで、この土地の名前は「ラティスボンヌ」に変更されました。1916年から1947年まで、ハーゲン家の12人の子供たちの長男、ジョン=シャルル・ニコラス・ハーゲン(「ティビー」)が、後に「シャトー・ハーゲン」となる場所に家族と共に住んでいました。(文:L.タルビ)。
ニューカレドニアの文化遺産に指定されたこの城と庭園では、展示会、映画上映会、ダンス・パフォーマンス、演劇、コンサート、テーマ・デイ、テーマ・ナイトなど、一年を通して老若男女を対象としたさまざまな文化イベントが開催されています。
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